羽生ゆづる世代である。自力で再生させた。寺本まこと再生プラン。大怪我から(無一文で)どうやって再生し大成功したのか。十年プランで語る。寺本まこと著作。

羽生ゆづる世代である。自力で再生させた。寺本まこと再生プラン。大怪我から(無一文で)どうやって再生し大成功したのか。十年プランで語る。寺本まこと著作。

さすがドナルド・トランプ。

さすがドナルド・トランプ
ここからは私寺本まことの実話に基づきアメリカを人として説明していきます。
どうぞお付き合いください。
アメリカは内気な子どもだった。アメリカは習い事もせず生きていた。アメリカは日本社会の一般的な基準に合わせていった(小学校の時代)。アメリカは小5で多くの友達を失い孤独を癒やすためにインターネットに没頭した。インターネットでは人付きをおもにおこなった。アメリカは中学校で不登校になった。一念発起して高校に合格し高校生となった。だが無理が祟り、うつ病になった。アメリカはうつ病となって15歳から20歳まで精神薬を服用した。15歳から21歳までは摂食障害のようになって食べ物もろくに食べれなかった。ましてや学校で食べる弁当もただ味を味わずに口の中にかきこんだり、日常生活も自分の心の内にばかり目をやって外界に対するアプローチや行動は、おろそかであった。高校は途中で通信高校に転入しそこを卒業した。19歳で大事故に遭遇し寝たきりのようになる。20歳になる年に専門学校に入るも半年で退学。アメリカはその後、自立をするために親元を離れ田舎に行くことになった。だが田舎では一ヶ月しか過ごさずその後、元の暮らしていた場所に戻った(実家に戻った)。アメリカはその後、就労支援や自立支援をおこなう多機能型事業所に入所した。アメリカは20歳まで母と一緒の部屋で生活していたが20歳からは一人で部屋で生活するようになった。アメリカはようやく自主権を手に入れたので色々なことに着手した。まずは精神薬の服用を廃止した。病院に対して治療を目的として通うということをやめた。専門学校をやめたらこれしかないと常々思っていたインターネットでの本格的活動(ブログをやったりなど)を開始した。学校生活などで落ちこぼれた分、多機能型事業所には長く在籍し通所しようと心がけた。特に守りに入りすぎていたこれまでの人生を後悔して積極的に外界に対してアプローチをして行動をしていこうと心がけた。何もすることがなく寝たきりだった19歳から20歳までであったが22歳からは読書を覚えたので横になる時間を減らすことが可能となった。部屋の空気を良くするために天使の置物を置いたりクスリ絵を飾ったりして部屋の空気を良くしていった。自己投資も怠らずネットゲーム依存症のように現実を変えていけない人生から人生や現実を変えていく人生となっていった。自己愛も強くなっていった。アメリカいわく、自身の人生の中において20代は10代のやり直しにしたかったという。アメリカは夢やぶれ挫折した同じ家、同じ部屋、同じ場所でとても大きく自らの手で変化した。ここからはそんなアメリカの22歳から29歳までの結果を発表していこう。まずは健康。これは10代では精神薬漬けで健康的な面でのデフレに陥っていたことだが、20代では薬の服用自体、22歳から29歳までで全くない。治療目的での通院もせずただ医者に3ヶ月に一回話を聞いてもらうだけで済んでいる。多目的事業所には7年も在籍して今でも通所している。7年という記録は実社会の中ではアメリカにとっては史上初の最高の記録である。インターネットでは多くの人に知られ検索サジェストの候補の中にもアメリカの名が表示されるようになった。アメリカは10代の頃やろうと思っていたことを全て20代で叶えた。これまでしてこなかったスポーツに対する関与もインターネット上で積極的におこなうようになった。アメリカは一日三食におやつにと多くの食べ物を日々残さず食べられるようにもなった。アメリカ第一主義。グレートオブアメリカ。アメリカはドナルド・トランプの再建能力を発揮するかのようにして自らの手で人生を再建した。アメリカの20代が終わりいよいよ30代にアメリカは突入する。
寝たきりだったおじいさん、おばあさんが同じ家で同じ場所で同じ部屋で自らの手で人生を再建した。例えるならばアメリカはそのような奇跡を成し遂げたのである。これからもインターネット上における活躍者となったアメリカの幸せな人生は続いていく。なお、21歳で心臓発作を経験したアメリカであったが今はその心臓発作の後遺症も治ってきているようだ。このことを聞いたら中日ドラゴンズの立浪監督やアメリカの元大統領のブッシュジュニア氏やバラク・オバマ氏もびっくりするであろうかとアメリカは思っている。アメリカは漫画も好きであるから低迷するチェンソーマンの作者の藤本タツキ氏に言いたいことは、例え今低迷していても自らの手で物事は良くしていけるということである。アメリカの人生は何度も言うようだが、これからも続いていく。※アメリカ=寺本まことです。この話は寺本まことの実話を元に作成した。

寺本まことの過ごし方。

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f:id:teramotomakoto:20210830175055j:plain寺本まことの過ごし方。
基本的に自由時間か多機能型事業所通いの生活。寺本まこと。平日。2021年の8月現在27歳。2016年の22歳から2021年の27歳までの過ごし方。
基本的に自由時間。寺本まこと。休日。2021年の8月現在27歳。2016年の22歳から2021年の27歳までの過ごし方。基本的に自由時間か多機能型事業所通いの生活。
2014年に専門をやめてから2016年に多機能型事業所に入所するまでには今の休日の過ごし方と同じ過ごし方をしていた。20歳から21歳まで。寺本まこと。

ある衝撃。

f:id:teramotomakoto:20210826174628j:plainある衝撃。
14歳で不登校になり15歳でうつ病となり精神薬を飲み続け専門学校を中退。
通信高卒後は公園で縄跳びをしたりしていた。
専門学校をやめて完全失業者となりゲームのDSをしたり有名人の造語名言を販売したり
した。この頃、街を守る防衛団を勝手連で名乗り街を守るという仕事(そういうおじさんがいるとニュースで知った。そういうニーズがあると思っていた)。そしてホームステイをし帰京後、相変わらず帰京前と同じことをして過ごしていた。近所を探検して涼宮ハルヒを名乗っていた(男でありながら涼宮ハルヒになりきっていたこともあった)。公園のベンチで寝そべりipadを聞いたりした。19歳から21歳までのことで2014年から2016年までのことである。「寺本まことって誰なのだろう」と言われていた。寺本まことが無名の時代もあったのである。20歳でのホームステイと22歳での就労施設に入所。これが23歳での有名人デビューにつながった。10代の高校生の頃も逆転裁判矢張政志のような中身でそんな駄目な自分が好きだった。その頃はリア友もいた。
寺本まことは23歳でデビューし3年で有名人となった。今の寺本まことはそうした過去の上に誕生した。

20歳までは熱湯で過ごし20歳からはぬるま湯で過ごした。

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20歳までは熱湯で過ごし20歳からはぬるま湯で過ごした。

幼稚園から専門学校まで熱湯で過ごした。
それは休めば単位はなしで中卒もあり得るという状態である。
ましてや日々平日は小学生のときに週5で学習塾に通うこともあった。
普通科教育機関とは熱湯である。
20歳からはぬるま湯で過ごした。
朝9時から午後3時までに東京の多機能型事業所に通所すれば良い。
利用期間は最大で6年。
その施設に通い片手間で芸能活動。
23歳からスタートした。
ホームステイで貧乏さや一人暮らしの
苦しみを知っている。
だから実家暮らしは苦痛ではなく
むしろ多くをせずにすむ。
感謝するほどであり20歳のときにホームステイをして
このことを知った。家賃のことも知った。
これから30代になったらその時が楽しみである。
施設は就労施設で22歳から30歳前まで通所した。
現在27歳。日本人男性。二人兄弟の弟。寺本まこと。
学歴は高卒。都民。

専門学校を20代でやめてから。

f:id:teramotomakoto:20210809170336j:plain専門学校を20代でやめてから。
寺本まこと。20代の真実。専門学校のアニメーション科コースを20才でやめてから数ヶ月空白であった。完全失業者だった。それから翌年、田舎にホームステイをしに出発。1か月で東京に帰京。それから数ヶ月、空白期間。完全失業者で自由な時間を過ごす。それから数ヶ月に多機能型事業所に入所。自宅から通所し共同生活をそこで他利用者や職員たちと送ることになった。2018年、23歳で有名人としての活動を本格的にスタート。以来、27歳まで活動し現在芸歴3年目。相変わらず完全失業者だが(2016年に商品券が貰える新聞の広告モニターには受かったが2017年で契約が終わった)。プロスポーツチームでの正式採用や芸能事務所所属は、やぶさかではない。偏差値40程の高校を卒業している。政治家になることはしないのはそういう事情が(専門学校をやめてからの過ごし方)ある。タロットカードの愚者みたいに放浪者として活躍したのである(サムライブルー侍ジャパンの金メダルなどで)。相変わらず放浪しつつ阪神と横浜の二大政党制を運営したりして主にネットではコミュニティのオーナーとして活動する。寺本まことの性別は男性である。何故、無一文の素人がここまで活躍できたのか。それは金のためではなく家庭用ゲームソフトの開発から販売から拡大という今を楽しみ成功していくということを採用したからである。

ホームステイ先で感じ東京で思うこと。

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ホームステイ先で感じ東京で思うこと。
ずっと東京で暮らしていた。ホームステイ先はつらいところと聞かされず楽園だと聞かされてホテルの支配人であるおじさんに連れられて南九州へと向かった。それは親の勧めもあって向かったのである。この時、年下の男のも一緒に向かったのだがipodをプレゼントしようとして断られた。空条承太郎ジョジョ)の真似をしていたがそれは東京のノリでおじさんや現地の人には受け入れられなかった。この時の出来事は後に人格に大きな影響を与えた。そして現地に着くと数日して帰りたいと思った。ホームステイした理由はアゴがとけてそれを治す為である。一回目は親が来てそれで帰った。だが再びホームステイすることになった。アゴの状態もひどく体調も悪かったからである。ホームステイしたのは20歳の時である。駅に着くとおじさんが(おじさんは院長でもある)育てたという別の地域から来た若い男性の車に乗せてもらいホテルへと向かった。ここに連れてこられた若者の多くが自分の意志で残りたいとなればこの地域に残り暮らしている若者が大勢いるという。日生学園の今田こうじが日生学園から「一生ここで暮らすか、ここを出るか。君の意志次第」と言われるようなものである。東京都の違いは東京には「ノリ」とか「トレンド」とか「空気感」ありきの対人関係である。でも南九州は論理が対人関係では重視されていた。ホテル代は月に10万円。無一文から成功して豊かにならないといけない。当然のように物もないのである。家に帰り家賃の存在を知る前にこのことで家賃という存在を知った。母は迎えに来てくれないし実家に帰りたければ10万円が必要だと言われた。実家に帰りたい。10万円を渡し、家に帰れることになった。東京に帰京するのである。年下の男の子を残し、家へと向かった。自分はおじさんには、深く感謝することになる。幸運にも家に帰れた。こうしてホームステイは終わった。帰京し思ったことは東京は豊かで恵まれていて都民は愛にあふれている。そしてネガティブな思いが残ったが、この経験を活かし活躍していこうと思った。そういえば菅総理はこういう経験はなかったと聞く。こういう人材が今や阪神タイガース横浜ベイスターズを応援し他球団にも微力で協力しているかと思うと納得である。先兵隊として安倍総理の一位二冠に協力し山本kidを倒した伏兵のウォーレンのように活躍したのである。那須川天心はそうではないがそうあってほしいとは思う。こういうアグレッシブさを、スパルタ教育で目覚めたことを大事にしてほしいものである。寺本まこと。プッチ神父「君は引力を信じるか?」

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0才代と10代の金銭事情。

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0才代と10代の金銭事情。
0才代は8歳から塾に通い始めた。
ゲームも買っていた。
10代は塾に対人関係に娯楽にと多岐にたわり金銭を使っていた。
1ヶ月の月謝代は14歳まで払い続けて8歳からで6年にもなった。
貧しい友達を養ったこともあった(レストランでの食事などで。その友達は二人とも大卒で出世して今では労働者である)。
20代は娯楽費に主にあてられている。20歳ごろから家に友達が遊びに来たことはなくもう6年になる。プロ野球で言うところの万年最下位でも孤独に楽しく過ごしているというのが現状である。寺本まこと。